旅は私の何なのか


 初めて海外へ行ったのは今から10年以上も前の事になる。当時は会社勤めだったので、なかなかまとまって休む事ができなかったけれど、ようやく5日間の休暇が取れ、中国個人旅行に旅立った。

 日本から香港経由で中国へ。香港から国境まではガイドがついてくれたが、広州駅に1人放り出されたときはツアーでなかった事を後悔した。それでも宿がみつかると少し落ち着く事ができ、ようやく旅を楽しめるようになったが、初めて聞く中国語、人民自転車の群れ、汚い人民食堂、態度の悪い服務員..。何もかもカルチャーショックだった。
 それが中国だったせいか、最初の海外だったせいか、とにかくそのとき受けた強烈な印象は、今でもはっきりと思い出す事ができる。「異文化」というものを自分の目で見て、肌で感じるという事。それは日本では決して体験できないものだと知った。
 それ以来、海外を長い間旅してみたいとの思いを暖めつつも、仕事がおもしろかったせいもあり会社勤めを2年間続けた。一方で学生時代から乗っているオートバイでのツーリングも好きで、日本中あちこちに出掛けていた。
だから「海外をバイクで走る」ことには憧れていた。雑誌でそんな記事を読むたびに「いつか私も」と思ってはいたけれど、まだまだ遠い夢のひとつに過ぎなかったのだ。



 そんなときに、大学の友人が、「弟がワーキングホリデーでオーストラリアに行き、向こうでバイクを買って、それで旅行してきたよ」
というのを聞いて、はっと気がついた。「あっ、これだ」いきなり目標が近づいた感じがした。すぐに実現できそうな気さえしてきて、気持ちはすでにオーストラリアに傾きはじめていた。
 半年後に会社を辞め、さらに半年後、オーストラリアへと旅立った。そして無事に9か月間のツーリングを楽しんだ。それからは旅に少しでも関係する仕事を選び、趣味と仕事の両方で海外へ出掛ける機会が多くなった。オーストラリア、アジア、ヨーロッパ、そして激動の東欧やサハラ砂漠へも1人でバイクで旅をした。
 ところがメキシコ以南のラテンアメリカはずっと空白だった。それだけに好奇心が募り、いつか行こうとずっと思っていたが、耳に入ってくるのは悪い噂ばかりだった。
でも普通の人たちがちゃんと暮らしているわけだし、全体が危ないわけではないだろう。東欧の時もそうだったように、情報がない分、悪い噂ばかりが選考していたルーマニアが一番面白かったし、人も親切だった。人の話を信じないのも良くないけれど、鵜呑みにしてしまうとせっかくの「自分の旅」ができなくなるのではないだろうか。
 仕事にうまく区切りをつけ、ようやくラテンアメリカの旅に出発できたのは94年2 月。当初はメキシコと中米のみ3か月というつもりだったけど、予定どおりにはいかないラテン世界。すっかり気に入ったこともあり、結局1年4か月かけて南米最南端へも足を伸ばし、大陸縦断の旅となってしまった。